2010/12/01

食べ残しましょう!?

この国の人たちの元々の習慣なのか、あるいは私が外国人だからなのか、日本にいた時よりも人の家に招かれて食事をもてなされることが多い。

食事に招かれた時、いつも戸惑うのが、取り分けられた自分の皿の料理を、食べきってはいけないらしいということ。同席しているキルギス人を見ると、皆、皿に食事を残して箸を置く…、もとい、フォークとスプーンを置いている。

良く聞く話であるが、文化によってはもてなされた側は、食事を残すことがマナーになっている。「私が食べきれないほど、あなたは食事をもてなしてくれました」という感謝を含意した表現なのだという。

マレーシアにいた時の話だが、知人(中華系)宅に食事に招かれて、その日は鍋をいただいた。鍋だから、鍋から自分の器に食べ物を取って食べる。こういう時、その家の主人が客人の器に食べ物を取ってあげることが多い。私は取ってもらった分は残してはいけないと思い、盛られる度に食べきっていたのだが、次から次へと食べ物が足されていく。私は半ば拷問にでもあったように気持ちでがんばって食べていたのだが、さすがにこれ以上は食べられないという極限まで行ってしまい、「ごめんなさい、もう食べられないので、この分は残してもいいですか」と言った。

あとで思い返して気づいたのだが、どうやら食事の終わりは、食べ残すことで表すことになっていたようだ。私が、よそわれる度に器を空にしていたのは、「もっと食べさせろ」という表現になっていたと思われる。その証拠に、私が食べきる度に「おなか一杯になりました」と言っても、間髪入れずによそわれていたが、食べ残して箸を置いた途端、接待は終わったのだ(実は、人数に対して席が足りず、食べ終わった人は次の人に席を空けなくてはいけなかったのだが、私はずっと席を占拠しつづけいたという不作法も働いてしまっていた)。

日本ではどうだろう? 食べずに残すというのは「まずかったので食べたくない」という意思表示と見なされる場合もある。外食店で注文をして、出てきたのがよほどひどい味ならば、私はそうしている。
しかしながら、残すことによって感謝を表すというマナーは、日本でもあるかもしれない。例えば、個人宅での食事会、または結婚披露宴などで、食べ物がすべてなくなってしまえば、ホスト側は「あいつはけちな奴だ」と陰口をたたかれる。会費制の飲み会でも食べ物が少ないと、幹事の評価は下がってしまう。逆に言えば、食べ物が残るのは、宴を催した側にしてみれば成功にあたる。食べきるのが良しとはされていない場合があるということだ。

ただ、日本の場合、取り分けられた分は食べきるのがマナーではなかろうか(家庭によるかな?)。というのも、いったん手を付けてしまったものは、「汚い」と認識されてしまうからだ。「自分の食べられる分だけ取りなさい」。そういうしつけをしている家は多いのではなかろうか。
そのようにしつけられた者にとっては、自分の皿の食べ物を残すというのは後ろめたさがある。しかし、海外の多くの文化においては、残すことが客側のマナーである以上、それに合わせて振る舞うのも、必要なことなのである。

客に呼ばれたら、食事は残しましょう!(ただし、周りの人の様子を見ながら…)

 美味しそうだけど残しましょう

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